ふと思ったのですが、働くのが平気な人は、ここまで「働きたくない」と言っている人の気持ちは全くわからないんだろうなと。
そして、「どうしてそんなに働くのが嫌なの?」という風に何気なく質問してくる言葉が、わたしのような社会不適合者には、本当に重くのしかかるんだろうなと。
どうも性別のたとえばかりになってしまうんですけど、わたしはこれでも昔は「普通の人」になろうと思ってたんですよ。
「普通の人」になりたかったんですよ。
別にこんな風になりたくてなったわけじゃないんですよ。
ここでいう「普通の人」って何かというと、「男性」なんでしょうね。
女性として生きようなんて思わず、普通に男性として生きることの出来る人。
わたしはそういう人になりたかったんですよ。
だけど、そうなろうとしても苦しくて苦しくて仕方ありませんでした。
どうしようもなく苦しくて、自分に素直になったのが今の姿です。
「普通の人」にはきっとわからないのでしょう。
冗談だろうけど「どうしてそんなことしてるの?」みたいな言われ方をすることがあります。
冗談だとわかっているから受け流せるけど、わたしだって、なれるものなら「普通の人」になりたかったのです。
「働きたくない」もその1つです。
わたしは、どうしても「普通に働く」ということが出来ませんでした。
性別の問題が絡んで、社会不適合者として育ったからかもしれません。
でも、別にそれだけじゃないのかもしれません。
ともかく、「普通」にはなれなかったんですよ。
圧倒的に「社会不適合者」だったんですよ。
だけど、不適合者には不適合者に適したフィールドがあるんですよね。
最終的には「女性でありたい」と「働きたくない」を融合させて、脱毛のブログを作って、生活できるようになりました。
社会不適合者だからこそ、出来たことなんですよね。
社会不適合者には、不適合者の生き方があるんですよ。
たとえば、このブログも「働きたくない!」という思いに徹底的に向き合い、掘り下げています。
そうすると、結構な共感を呼んで、多くの人に読んでもらえているわけです。
こんな風に、自分に不得意なフィールドには立たず、得意なフィールドに立つことを選んだわけですね。
ネットが発展した今の社会なら、もうこれでいいと思うんですよ。
社会不適合者って結構な数がいるんですよね。
社会全体の割合で言えば少ないかもしれませんが、なにしろ人口が多いから、絶対数として考えると十分なわけです。
昔は無理だったかもしれませんが、今ならネットを使えばそういう人とどんどん繋がれるわけで。
そこから何かを生み出していけば、自分らしく生きていくことが出来るんじゃないかなーと思うのです。
社会不適合者には、不適合者だから出来ること、不適合者だからこそ得意なフィールドがあるはずです。
だから、わざわざ不得意なフィールドに立つ必要はないと思うのです。
わたしは、社会不適合者のみなさんを応援しています。