人生の質は「魂からやりたいこと」をどれだけ出来たかだと思います

kotokuin19

ネットにはニートを絶望させるような、とてもくだらないコピペがたくさんあります。

今日は、わたしが「それはないだろう…」と悲しくなったコピペを紹介。

社会人は1日に10時間働して1時間休憩して通勤に二時間かかり睡眠時間を4時間取る。
そうすると、自由にできる時間は4時間程度だ。

ニートは睡眠時間を7時間取って時間は17時間ある。実に社会人の4倍以上だ。

40までニートを貫いた奴は勝ち組みだよ。大学卒業からだとしても、社会人の72年分の自由にできる時間を使ってるんだから。

だが、ペナルティも4倍だ。

40過ぎてニートやってたなら、社会では90過ぎの爺さんと同じ扱い。希望なんてあるわけない。むしろ、寿命だ。長生きした方だろ?

2年なら24で若いと思いがちだが、30の転職者と同レベルの扱いだ。決して甘い物じゃない。

時間は無限にあると錯覚しがちだが、一般人の4倍以上の速さで浪費してる。

ニートが明日の夜寝る頃には、一週間分の時間を失ってるということだ。

これを読んでると「ペナルティも4倍」はおかしいと思うんですよ。
そして、ニートと労働者をこんな比べ方するのもおかしいと思います。

ただ、「ニートが明日の夜寝る頃には、(一般労働者の)一週間分の時間を失ってる」というのは考えさせられますね。

「ニートしてるなら、せっかくそれだけ時間があるんだし、その時間を大切にして、本当にやりたいことをやれ」というメッセージとも受け取れます。

ペナルティとか浪費とか、そんな絶望させる表現じゃなく「みんなの4倍の時間を持っているんだから、4倍楽しむといい」という、そんな表現ならいいのになぁ、と思うのです。

その考えで、逆に労働者のことを考えてみましょう。

もし「好きでもない仕事」をしているのであれば、「好きなことをして楽しく生きているニート」の4倍の速さで、加齢していることになるんですよ。

逆転させると、こんな怖いことないですよね。

こう考えると、大道芸人の話の「今やりたいことをやらないことの方がリスク」というのが身にしみます。

わたしは、人生の質というのは「魂からやりたいこと」をどれだけ出来たか、だと思います。

ですから、自分は本当はやりたくないのに、いやいややっている時間というのは、人生において最も無駄な時間だと思うのです。

人生時間は有限です。

嫌なことをやっている暇はないんですよ。

このコピペは「自由時間」に価値を置いていますが、その点は的外れだと思うのです。

自由時間がいくらあっても、「人生において、自分がやりたいと思っていること」が全く出来なければ無意味。
逆に言えば、コピペ通り「一般人の4倍の速さで浪費」していたとしても、自由時間に「やりたいこと」を4倍出来れば、4倍充実していると思います。

だったら、それでいいと思うのです。

「社会人は1日に10時間働して1時間休憩して通勤に二時間かかり睡眠時間を4時間取る。」

これが、心の奥底からやりたい労働を10時間していて、自由時間にも心の奥底からやりたいことを4時間しているとしたら。
14時間好きなことをしていることになります。

逆に、10時間嫌いな労働をしていて、自由時間の4時間もたいしてやりたくないこと…例えば無意味にテレビを見て時間つぶししているとしたら、「やりたいこと」をしている時間はゼロ!
もはや「生きている意味がない状態」ともいえます。
まぁ、お金ためてたら「未来に投資している」といえますけどね。

ちょっと「17時間好きなことばかりして楽しく生きている人」と比べて、自分の人生はどうなのか考えてみるといいかもしれません。

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コメント

  1. 多夢 より:

    以下はあくまで私個人の考えです。

    やりたいか、やりたくないか、やっているかよりも、
    どのような存在としてありたいかの方が大事だと思っています。

    私は母親や祖父の事をとても尊敬しています。
    二人とも、とんでもない逆境の中で、本来やりたかった事なんて
    何もできない人生を歩んできた人たちでした。
    でも、どのような存在でありたいかという
    それこそ魂の声を体現して生きてきたのだと思っています。

    祖父はガダルカナルの生き残りでした。
    赤痢で動けない仲間のために、自身も赤痢に侵された体を引きずって
    爆撃をかいくぐり毎日水を汲みに行くような人でした。

    祖父は引き上げを米軍に襲われ仲間とともに海に投げ出されました。
    爆撃の破片はこめかみをえぐり、左腕はちぎれ、皮一枚つながっているだけの状態で
    海に逃げ込んで、奇跡的に仲間のなかでただ一人救護艇に救ってもらったのです。
    誰かが祖父の後ろから「こいつだけは拾ってやってくれ!」 と
    叫んでくれたお陰だと聞いています。

    祖父も、叫んでくれた仲間も、殆ど全ての自由を奪われた極限状態の中で、
    気高く生きることを選んだのだと思います。

    祖父は復員後工場をおこしました。その4代目が私です。
    ものづくりの中小企業を取り巻く状況は悪化の一途ですし、
    嫌なことや面倒なことだらけです。修羅場っぽいこともあります。
    自由な時間も休みも極端に少ないです。

    でも、自分を発揮できると信じているし、どのような存在としてありたいかは
    出来るだけ大切にしたいと思っています。

    制限や、我慢を強いられる事だらけの世の中ですが、
    それらに対して能動的になれた瞬間、半分以上は楽になると思います。
    自分を発揮する自由とステージを自分で発見したってことですもの。

    なので、~したくない よりも ~したい それはなぜなのかに向き合い、
    その根っこまで突き詰めて考えるのが良いんじゃないかなと思います。

    結果として働かなくて良いが付いてくるかもしれないし、
    やっぱり働くのかもしれませんが、どっちも手段なので大きな問題じゃない気がします。

    長文失礼いたしました。
    書きやすいのでここに書かせていただきましたが、
    内容が内容ですので、掲載はゆきにゃんさまでご判断いただければ幸いです。

    一応エールのつもりです。
    お役に立てそうな事があればいつでもお声かけ下さいね。

    • ゆきにゃん より:

      なるほど、たしかに「どうありたいか」というのが重要かもしれませんねー
      思うに、今の世の中は戦時中と違って、かなり自由なんですよね。
      多夢さんのお祖父様のような極限状態になることは、まずないわけで。
      だからこそ、今の時代に生きる我々はもっともっと自由な考えで、ガマンせずにすきなことをたくさんして生きていったほうがいいんじゃないかなぁと。
      それが、今の平和な世の中を築いてくれた先人たちの恩に報いることでもあるとおもうのです。

      「~したくない」に向き合うのは、やりたいことを探すためでもありますねー
      とりあえず消去法で「これはやりたくないから、やめたほうがいい」というのが見つかるんで。
      で、向き合ってると「やりたくないこと」をやりすぎているのに気付きました(;´Д`)

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